博士論文
修士論文
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2023年度
・中国における芥川龍之介文学の受容ーー『蜘蛛の糸』の考察を中心に
・近現代日本におけるシルクロード・イメージの創出ーー中央亜細亜探検からシルクロード旅行へ
・谷崎潤一郎『刺青』の英語圏における受容ーーIvan Morris 訳 The Victim を中心に
・近代日本の風景観に見る西洋志向と国粋主義ーー志賀重昂『日本風景論』における火山論を中心に
・最果タヒ『パパララレレルル』論
中間発表会
M1, M2, D1, D2 は春〜夏学期(授業期間は4月〜8月)に1回、秋〜冬学期(授業期間は10月〜2月)に1回、計年2回の発表を行います。D3 は春〜夏学期に1回(年1回)の発表を行います。
2024年度
12月
(M1) 有島武郎「奇跡の咀」の可能性ーー文体および視覚障がい者の人物像を中心に
(M1) 江戸川乱歩「押絵と旅する男」の教材観の変遷
11月
(M2) 翻訳と創作の間ーー郭沫若『聶嫈』におけるシング Riders to the Sea の影響
(D1) ハンガリー人旅行者の日本観におけるオリエンタリズムーーヴァイ・ペーテルの著作物における矛盾性を中心に
(D1) エスニシティと女性ーー『ビルマの日々』と植民地ビルマにおける諸問題
(D2) 百貨店の拡大と雑誌ーー機関雑誌の成立と展開を中心に
(D2) 中国における芥川龍之介「偸盗」の翻訳・受容に関する比較研究
10月
(M2) 三浦哲郎「とんかつ」の受容の変遷ーー高校国語科定番教材に至るまで
(M2) 語りの権威に抗うーーライダー、ティレルおよびブーンの人物像と Was の情景について
7月
(M2) 郭沫若のシング受容の特徴とその原因ーーアイルランド背景の看過
(M2) 混濁する「所有」の観念ーーGo Down, Moses におけるサムとルーカスの混血表象
(M2)「語り」から考える三浦哲郎「とんかつ」ーー文学研究と国語科教育の接続を検討するにあたって
6月
(D1) オーウェルとビルマ
(D1) オーストリア=ハンガリーによるオリエンタリズムーーヴァユ・ペーテルの著作を中心に
(M1) 江戸川乱歩『押絵と旅する男』の教材としての意義
(M1) 有島武郎「奇跡の咀」のハンディキャップ者についての考察
(D2) 二つの抑圧に対する百貨店の戦略的ふるまいーー1930年代のポスター及び新聞広告の事例から
(D2) 中国における芥川龍之介「藪の中」の受容・翻訳についての比較研究
5月
(D3) アーサー・モリスンのイーストエンド三部作に見られる階級意識と語りの戦略ーー『ロンドン・タウンへ』を中心に
(D3) 周縁での敗北ーー『パン・ヴォウォディヨフスキ』と『乞食大将』の比較分析
(D3) 海野十三の「キド効果」による時空と心理の「断片性」の風諭効果
(D3) 雑誌から見る中国「新詩」の越境ーー『荒島 (DESERTED ISLAND)』と『藍・BLUE』を例として
2023年度
12月
(M1) 高校国語科でのアダプテーション型課題の設定について
(M1) 家系の起源を探るーー"The Bear" におけるアイザックの台帳の読みの再構築
(M1) 郭沫若の Riders to the Sea の翻訳と受容ーー「翻案」を中心に
(D1) 百貨店物語における外商制度
11月
(D1) 芥川龍之介「袈裟と盛遠」における中国語訳ーー〈袈裟〉の人物像を軸に
(D2) 在日中国人メディアにおける「文学」ーー『藍・BLUE』と『荒島』の比較を通して
(D2) 植民地化された植民者としてのポーランドーーヘンリク・シェンキェヴィチのポストコロニアル評価
(D2)「辨天」の不在における海野十三の文芸思想ーーH・G・ウェルズへの受容を中心に
10月
(M2) 最果タヒ『パパララレレルル』の会話体と登場人物のメタ的認識
(M2) 中国における「蜘蛛の糸」受容の原因ーー児童文学を軸に
(M2) 谷崎潤一郎「刺青」の英語圏における受容についてーーIvan Morris 訳 "The Victim" を中心に
(M2) 郭沫若『鳳凰涅槃』(1921) における鳳凰表象の変容ーー「創られた伝統」としての鳳凰に着目して
(M2) 志賀重昂『日本風景論』における火山論ーー国粋主義と西洋近代化の融合
(M2) 戦後日本における文化伝播論とシルクロードーー「文化史的小説」を中心に
7月
(M2) 志賀重昂『日本風景論』における火山論ーー国粋主義と西洋近代化の融合と葛藤
(M2) アイヴァン・モリスの日本文学翻訳の目的と意義ーー"Japonaiserie" への抵抗としての「刺青」
(M2) 郭沫若『鳳凰涅槃』(1921) における鳳凰表象の変容ーー「創られた伝統」としての鳳凰に着目して
6月
(M2) 蔵原伸二郎の中央アジア詩と副島次郎ーー中央アジア横断鉄道とトゥラニズムを補助線として
(M2)「蜘蛛の糸」中国における受容の原因ーー仏教文学を軸に
(M2) 現代の少女小説としての「眠れる森後の美女」
(M1) 高校での文学教材の読まれ方について
(M1)「遺産」文学としての Go Down, Moses と南部の歴史
(M1) 近代中国における弱小民族文学の受容についてーーアイルランド文学を中心に
(D1) 1930年代から40年代における日本の百貨店表象ーー戦時下の国外進出及び雑誌との相互交渉を中心として
(D1) 仮:中国における芥川作品の翻訳の比較研究
(D2)「混血」と「純心」ーーAlmayer's Folly と『日本人オイン』におけるハイブリディティとハイブリッド化
(D2) 昭和初期「バラバラ死体」という表象の主体化ーー海野十三の「白蛇の死」を例として
(D2) 周辺に直面するーー『藍・BLUE』における戦略としてのインタビュー
5月
(D3) 障害学から考察するソーシャルサーカス
(D3) G. R. シムズ『貧民の生活状態、および恐怖のロンドン』(1889年)に見られる新しい貧民像ーーM. E. ブラッドン『金の仔牛』(1883年)・A. モリスン『みすぼらしい通りの物語』(1894年)との対比から
2022年度
12月
(M1) 日本における近代登山の普及ーー地理学会と地図製作の観点から
(M1) 帝国日本の「西進」と中央アジア幻想ーー安西冬衛の中央アジア詩における「未成線」に着目して
(M1) 最果タヒ「限界人魚姫」での「推し」概念のイメージの拡大
(M1)「蜘蛛の糸」中国受容研究の位置付けーー万国宗教会議とポール・ケーラスの影響について
(M1) 谷崎潤一郎『刺青』の英語圏における受容についてーーIvan Morris訳 "The Victim" を中心に
11月
(D1) 接点としての『藍・BLUE』ーー中国人の日本留学史を辿りながら
(D1) 海野十三の怪奇性における「科学の真髄」ーー同時期サイドショーの受容を例として
(D2) 19世紀末のイギリスにおける貧困の発見ーーG. R. シムズ『貧民の生活状態、および恐怖のロンドン』に見られる貧困表象を中心に
(D1) 大日本帝国の大衆文学におけるジョゼフ・コンラッドの植民地主義アンビバレンスを辿るーー大佛次郎の例
10月
(M2) 尾崎翠における身体表象とその越境性に関する考察ーー『第七官界彷徨』を中心に
(M2) 第3章 ナラティブの不気味さからそのメカニズム・原理への一考
(M2) 塗り替えられる百貨店像ーー『東京デパート戦争体験記』を例に
(M2) 郭沫若の「鳳凰」と「Phoenix」を結合する行為の再評価
(M2)〈海〉から〈河〉へーー石原吉郎エッセイの検討
(M2) 有吉佐和子『恍惚の人』ーー〈老い〉についての同時代言説の視点から
7月
(M2) 海と傷跡ーー石原吉郎詩作品への視座
(M2)「火の鳥」と涅槃ーー火葬、香辛料、再生
(M2) 介護小説における〈ケアの倫理〉の射程ーー有吉佐和子『恍惚の人』を中心に
(M2) 百貨店表象における外商制度ーー産業の衰退期に着目して
6月
(M2) 尾崎翠『第七官界彷徨』論ーー身体表象と「書くこと」との繋がりに注目して
(M2) 20世紀前半ディストピア小説における「不気味なもの」と異化効果
(D1) 東西周辺のコロニアル・アンビバレンスーージョゼフ・コンラッドが結ぶ大日本帝国の大衆文学とヘンリク・シェンキェヴィチ
(D1) sprightnessの科学理性ーーweird、new weird、さらにnew new weird
(D1) 中国語文学同人誌から中日両語文芸誌へーー『藍・BLUE』の発刊を辿る
(M1) 志賀重昂『日本風景論』における火山賛美の風景観ーー思想の広がりと実践
(M1) 日本文学の翻訳とその諸問題ーー谷崎潤一郎『刺青』・『痴人の愛』における文化表象に着目して
(M1) シルクロードと「貫戦期」日本のナショナリズム
(M1) 最果タヒの作品におけるメディアの影響ーー人物のコンテンツ化から作品を分析する
(M1) 中国における芥川龍之介の受容ーー「蜘蛛の糸」の考察を中心に
5月
(D3) ソーシャルサーカスの考察ーースペクタクルにおけるサーカス表象と変容
(D2) 19世紀後半のイギリスにおける貧民観の転換ーーH. メイヒューとG. R. シムズを中心に